これこれしかじか

ようこそ沼へ。お手柔らかに。きまぐれに。

BTSのコンサートに行ってきた。

 

ついに蜃気楼をつかんで、それは現実になった

恐れていた砂漠は、僕たちの血、汗、涙であの海になった

でもこの幸福の間にも恐ろしくなるのは何だろう

もともとここが砂漠だという事を僕たちはよく分かってる

 

希望があるところには 必ず試練があるものだから

 

僕たちは絶望しなければならない、

そのすべての試練のために

僕たちは絶望しなければならない、

そのすべての試練のために

 

바다(sea)

BTS ▼ 바다(sea)日本語【和訳・楽曲解析】 | Interlude;

 

私が大好きな曲のひとつseaの歌詞。

これは曲調先行で好きになった曲だけど、今、歌詞を見ながら聴くと本当にいろんな思いがこみ上げてくる。

 

私が彼らを知り初めて迎えるコンサート。

今年の頭ハマりたての頃にはいろいろ勝手な考察も含めてブログを書いたりもした。

主にこれからのこと、彼らの日本活動も含めて自分の希望を交えながら。

たったの数ヶ月前までは幸せで溢れていた空間と関係は簡単に崩れてしまうことを知った。

誰が悪いとかああすれば良かった、こうすれば良かったは人の数だけいろんな意見があって何が正解かもわからない。

自分の信じていたものは何だったのか。何を求めているのか。

自分自身、社会、歴史…いろいろなことを考える時間だった。

時間が解決できるのかもわからない。

でも1度傷ついたいろんなものはこれから癒えるのを待つしかない。

まだこれから。ここからだと思いながら東京ドームに足を運んだ。

初日の様子をなんとなく知っていたけれど、どこかに不安と緊張を抱えていた。楽しみな気持ちだけで臨みたかった。もちろん楽しみやワクワクする気持ちはあったけれど、今までどのアーティストにも感じたことのない複雑な感情を抱えたままライブに臨むことになった。

 

念願の東京ドーム。

それは今の彼らには通過点なのだろうと思っていた。

私は1年にも満たないまだまだ新規のファンなので軽々しく言ってはいけないのかもしれないが、アメリカでスタジアム公演をして、世界中をツアーで回れるほどの存在になった彼らにとっては東京ドームはどんな存在なのだろうと思っていた。

昔の彼らには夢の東京ドームだったかもしれない。でも今は夢「だった」東京ドームかもしれない。それは彼らにしかわからない。

ただ、不安定な状況でのツアースタートが東京ドームというのは運命なのか、なんなのか。

 

ライブの詳細なレポは自分には書けないのだけど、私が行った14日は緊張と少しの安堵が漂うような空間だった気がする。

13日に行っていないのでわからないけれど、私がライブ前に感じていた不安はライブが始まると同時にかき消された。

彼らは本当にプロだと思った。

YouTubeバンステを見た後に書いた記事で引用させていただいたブログの中にこんな言葉があった。

アイドルとして舞台に立たないといけないと選択させてしまったことが申し訳なくて、今にも感情が爆発しそうなのにそれを堪えて歌っている4人を見ると、エンターテイメントというのは残酷すぎると思った。あまりにも悪趣味な状況に思えた。

 

エンターテイメントは時に残酷だと思う。

彼らを取り巻く状況や彼らに対するたくさんの声や意見が全て悪だとは思っていない。

彼ら自身や事務所が作り出してしまったものもあるだろう。子供ではない。もう立派な大人である以上は責任もある。

しかし彼らはアイドルである以前にまず1人の人間だ。漫画やアニメのキャラクターではない。感情を持つ人間。

本名や顔も見せないような人達が、本名や顔、プライベートさえ犠牲になるような立場の人間を好き勝手にする。どちらが善でどちらが悪なのか。どちらでもないのか。

彼らのステージやコメントを聞きながら自分の中で更なる葛藤が生まれた。

光が強ければ強いほど闇が濃くなるというのを感じてしまった。

ライブが進むにつれ、少しづつ安堵が増して何かがゆっくり溶けていくような感じがあった。私の中の緊迫していたものかもしれない。

彼らのステージは今年4月のペンミで初めて見ていたが、東京ドームという空間は思っていたよりも小さく感じたし、その時と同じような距離感を感じた。彼らがここ最近の状況で変わったとは全く感じなかったし、感じさせなかった。彼らは4月に見た時と同じ7人だった。

メンバーのコメント時にはたくさんの歓声が起こっていた。優しさと大丈夫だという思いを訴えるかのような歓声だった。

 

人は他人の中に自分の見たいものを見ると思う。知らず知らずのうちに自分の願望を反映させてしまう。

ステージでの彼らは紛れもなくBTSであった。

あのステージが真実だと思った。

 

 

東京ドームで見た彼らの余韻に浸りながらバンステ映画を見た。

YouTubeで見たシリアスな雰囲気はなく、BTSとして世界中を周る7人がいた。

ところどころに入るナレーション。

砂漠と海。

 


どうしてどうして 歩いて海に来たのか
この海から海辺を眺めると
無数の砂と激しく吹く風
今もなお 僕は砂漠を見る
海を欲しがって 君を全部飲み干して
ところで あの頃よりも もっと喉が乾くんだ
僕が全部分かったつもりでいるものは 本当に海なのか
そうでなければ 青い砂漠なのか
 
分からない 分からない
僕が今 波を感じているのなら
分からない 分からない
未だに 砂嵐に追われているのだろうか
分からない 分からない
海なのか 砂漠なのか 希望なのか 絶望なのか
真実なのか 偽りなのか

 

YouTubeでは焦りや葛藤、アイドルとしての苦悩が描かれていた。だからこそ見ているこちら側もどこか辛いものがあった。何もかも知りたいわけではない。エンターテイメントが何かの犠牲に成り立っているものなのかもしれないと感じたのもYouTubeバンステを見て思ったことだった。

映画では年相応の7人が描かれていた。世界中を周りながらそれぞれの時間を過ごし、7人とスタッフ、bighitという事務所、良いチームワークなのだと感じさせられる場面がたくさんあった。

彼らが生きる世界は富や名声を得る代わりに犠牲にし、失うものも多い。真実か嘘か。砂漠なのか海なのか。

好意が悪意に代わるのは一瞬で、味方だと思っていたものが敵に代わる。

でも立場を変えればそれさえも逆になってしまう。

今の彼らを取り巻く状況とこの映画公開のタイミング、日本でこの映画を見るということ。

いろんな状況が重なって、映画を見ながらたくさんのことを考えた。

でも、東京ドームと同じでスクリーンに映る彼らはただただ20代の青年男子であり、アイドルであり韓国人であり、同じ人間だった。

そこには何の説明もいらない気がした。

何のフィルターもかけずに見れる映画だった。

ステージを見た時と同じ、それだけが真実だと思った。

 

Ocean, desert and the world
海、砂漠、そして世界
Everything, same thing
Different name
すべて、同じもの 違う名
I see ocean,l see desert
I see the world
海が見える、砂漠が見える 世界が見える
Everything, same thing
Different name
すべて、同じもの 違う名
It’s life again
人生をもう一度

 

 

そして昨日11/24 京セラドーム

東京ドームから10日。

日本に滞在しながらも、今までのようにテレビに出たり、vliveをしたりする彼らの姿はなかった。

同じ国にいるはずなのに、どこか遠くに感じた。

ライブに行ける人はいいが、行けない人はきっともっと遠くに感じたのではないか。

 

私はありがたいことに東京、大阪と行けるのでしっかりレポートして伝えたいところだけど、記憶も語彙力もないので感想だけ。

 

昨日は東京よりもリラックスしていつもどおりの7人だった。楽しそうだった。東京ドームでもステージ上ではいつもの7人だったけれど、ファンの思いが切実さを伴っていたような気がしたから。京セラは暖かさと、懐かしいような感覚と名残惜しさと笑いと…

ペンミと同じような雰囲気を感じた。ファンもリラックスしていた。切実さのようなものがなくなっていた。

最後のコメントでは幸せでいて欲しい、幸せにしますというような言葉を言っていた。

それはファンからも同じだよ。

辛い思いをさせてしまっただろう。どんな思いで来日したのかはわからない。あの状況を作り出したのは顔も見えないような人達。私もそのうちの1人かもしれない。

彼らに興味を持つ立場でなければ同じように好き勝手言っていたかもしれないから。

まだこれから先、何か試練があるかもしれない。

でも2度と同じような状況を作りたくないと思った。

彼らの音楽とステージが好きで彼らを好きになった。

それだけが真実で、それを守りたいと思った。

 

 

ジン

長男は東京でも大阪でも相変わらず場の空気を和ませる、笑いに変えてしまう人。バンステでも同じ。ありがとう。今の状況だからこそあの雰囲気は必要だった。ソロとTTUでは安定の歌唱力だった。ニット王子、顔面が強い。顔がすぐ赤くなる。カメラへのキスが1番濃い。やっぱりバンタンの長男。

 

ユンギ

お爺ちゃんの笑顔とtearとseesaw。この三変幻よ。すごいなー。tearでは間違いなくラッパーSUGAでseesawではミンユンギ、ハニカミ笑顔ではしゅきたんの擬人化。くるくる回って頑張ってたけど爺の舞が華麗で笑ってしまった。

コメントの抑揚の付け方は話のネタにできました。ユンギも良い意味でいつものユンギだった。

 

ナム

東京ではナムさんの緊張感が伝わってきた気がする。彼は他人には優しく自分には厳しいタイプなのかな。あくまでリーダーとして、今の状況だからこそ自分を律するような姿勢だったと思う。京セラでは最後のコメントがすごくナムさんらしかったな。あと表情も東京よりリラックスしていた。とりあえずはお疲れ様ありがとうと言いたい。ナムのサランの衣装が好き。

 

ホソク

いつものJからの「HOPE」を言えたことで、バンタンのライブに来た感あるからホソクの役割は本当に大きい。ホソクは日本語で毎回適切なツッコミと進行をしてくれるから安心するんだよ。あとtearとjust danceでラッパーでダンサーという二面性に感動してしまう。安心と信頼のホソクよ。

 

ジミン

東京でも大阪でもパクー!パクー!って言ってごめんな。東京では本当に大きい声援が送られてたな。あの瞬間は忘れない。本当にすごい歓声だった。私は彼のパフォーマンスや雰囲気に惹かれてバンタンを好きになったからやっぱり特別なんだよなぁ。セレンディピティはパクジミンのためにある曲だと思っていたのにパフォーマンスもパクジミンにしかできないステージだった。エンターテイナーだね。あざといクオズモーメントをありがとうな…(チョロオタ)

 

テテ

東京でも大阪でも凄まじい歓声と黄色い悲鳴を1番集めていた人。ソロは芸術だよね。あのステージはため息出るな。なのにコメントではぽやぽや喋るからギャップがやばいんだよ…。

感受性の高い人だから心配していたのだけど、東京でも大阪でも彼はプロだったし相変わらずのキムテヒョンでもあったな。やっぱりヨンタンに似てきてると思う。ワンコやん。

 

グク

グクは今回東京で見たとき、最初は少し緊張なのか表情がいつもより堅いかなと感じたのだけど、コメントではいつものうさぎになっていて、パフォーマンスは相変わらず全力で近くから遠くまでファンを見てるし、マンネなのか筋肉うさぎなのかわからなかった。大阪での最後のコメント泣きそうになったよ。本当にファンの気持ちをよくわかってる人だなと思う。

 

 

 

あと、今回は彼らがきっかけでたくさんの出会いもあった。

東京ドームのチケットも同行させてもらったもので、本当に感謝しかない。

どんなジャンルでも同じ好きを共有できる人達と会えることが嬉しい。

たくさんの人生がある中で交わることのない人達が同じ好きを通して出会うきっかけをもらえる。

そのきっかけをくれたバンタンにも感謝したい。

 

また来年、会いましょう。

 

(まあMAMAでまた来るけどな…)