BTSがPOPアイコンになった
お久しぶりです。ブログを書くのは昨年のBLM以来かもしれない。というか書いてはいても下書き途中で出せていない文章は何個か眠っているのだけど。
バンタン関連の文章はめちゃくちゃお久しぶりになるのだけどツイッターに書ききれないからこちらに書こうかなと思い書き始める。
7/9、BTSの新曲が出た。
エドシーランプロデュースのpermission to danceという曲。
dynamite、butterに続く全編英語曲。
MVと歌詞から今のコロナ禍からの希望を歌った楽曲だった。
たぶん今の彼らにできる最良のコンセプトかもしれない。
私はいつからかBTSにKPOPアイドルという要素を求めなくなっていた。2018年、カムバックをビルボードで迎えてからアメリカの音楽授賞式や番組でパフォーマンス、出演するのを見るようになり、年を重ねていくにつれそれが定着しすっかり「BTS」というPOPアイコンになっていた。
2018年はKPOPを代表してアメリカの舞台に立つBTSという側面が強かった気がする。実際、カムバックはFAKE LOVEであり母国語である韓国語の楽曲でパフォーマンスするBTSはKPOPの要素が強かった。
FAKE LOVE、IDOLと続きHalseyとコラボしたBoy with luvで少し楽曲の傾向が変わった。
POPさが加わってより大衆に向けた楽曲になった。Map of the soulに関するブログは過去に書いてるのだけど、この辺から今までの楽曲路線を変えて新しい段階に入ったように感じた。
2020年に発表したdynamiteは全編英語曲で楽曲プロデュースにHYBE(当時はBIG HIT)制作陣が関わっていない。
彼らがKPOPを代表するグループから世界的なPOPアイコンに変わったきっかけの曲かもしれない。
私のイメージだけど、BTSには代表曲と言われる曲がなかった。BIGBANGでいうBANBANBAN、少女時代でいうGEEなどKPOPを知らない人が聞いても知っているような楽曲というのが彼らにはなかったと思う。ファンは知っている、しかし一般人は知らない、というような状態だった。それがdynamiteで変わった。BTSといえばdynamiteになった。
BTSと言えばKPOPアイドルというイメージからバックストリートボーイズやONE DIRECTIONのようなボーイズグループ、時代を代表するPOPアイコンになった。
私が最初彼らにハマった時はKPOPアイドルを代表するグループの1つだった。それがKPOPアイドルという垣根を超えて世界的POPアイコンになった。たったの2〜3年で。もちろん下積みはあるが上り詰めていくのは早かった。KPOPというジャンルを飛び越えたし飛び越えてしまった。
butterが出た時、ただ純粋に何かを悟ってしまった。もうKPOPアイドルとしての楽曲は聞けないのだろうかと。英語詞であるかどうかは私的にはあまり気にならなかったが、楽曲の要素が彼らに求めていたものと違うという違和感がずっと拭えなかった。
2020年に出したアルバムBEでは何曲かBTSっぽさを感じる楽曲があり少しホッとしたのを覚えている。
この「違和感」や「ホッとした」を感じること自体も今の私は彼らの楽曲ターゲットではないのだと悟るようになった。あえてターゲットという言い方をしたが、楽曲にターゲットも何もない。同じ人間でもある時に聞いた時は響かなかった曲が別の時に聞くとささるというのはよくある話。単純に嗜好の変化なのだ。
私の中で薄々感じていた彼らの楽曲に対する嗜好が変化していた。彼らがPOPアイコンになるにつれそれは強くなり、自分はターゲット層からは外れたのだと感じた。
嗜好は変わる。昔は苦手だった楽曲がいつのまにか好きになっている。その反対もあるのかもしれない。好きな曲もある、しかし彼らに求めていた私の「好み」は変わった。彼らも変わったのだろう。
昔の楽曲をいつまでも求めるのはどんなアーティストに対してもあるものだ。
ParamoreのInstagramに昔のParamoreを求めるコメントをしたファンに対して、フロントウーマンHayley Williamsが返答しました。
「昔のParamoreはYouTubeにいるわ。あなたが見たいと思った時にいつでもね!でも私はあなたに15年前のあなたになってとは、これからも決して求めないと約束する。」
パラモアのヘイリーの言葉、これをずっと教訓にしている。
昔の楽曲を求めたり、あの頃が良かったと懐古するのはどんなアーティストのファンもあるものだ。時にその声がアーティストを苦しめたりもする。
10年前の自分と今の自分、全く同じだろうか?時代や環境が変われば考え方も嗜好も変わるのが普通ではないのか?変わらずにいることがどれだけ難しいか。何かを作る上でその変化が作品に出るのはおかしいのだろうか。
私は変化して欲しいと思っている。変化した先が自分の求めていたものではない時もあるだろう。それでもいい。求めていた時のものは消えずに残っている。ヘイリーの言葉にあるように、今の時代、アーティストの作品にアクセスできる手段がいくらでもある。
私があえてターゲットではなくなったと書いたのは「KPOPアイドルとしてのBTSの楽曲」が好きだったからだ。たぶんそうだと思う。dynamiteもbutterも今回のPTDも良い曲だけど、私が好きなBTSの曲ベスト10に入ってくることはない。今の彼らにできる最良のコンセプトだと感じたのも歌って踊れるわかりやすいメッセージを発することができるのが今のBTSだからだ。これを5年前にやってもファン以外には届かないだろう。
知名度、人気を得た彼らだからこそできることだと思う。
だから私は好きなBTSの曲をApple Musicで聞き、好きなMVをYouTubeで見る。
それは昔の楽曲でもあり、別のグループの楽曲でもあり、KPOPではない楽曲でもあり、何でもいい。
自分から好きを求めて探しにいくのだ。