これこれしかじか

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black lives matterで自分と向き合う

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ここ最近ずっとblack lives matterについて考えている。そもそものきっかけは自分自身の発言だった。このデモが全米で湧き起こりニュースになりSNSで目にすることが多くなった時に、私はツイッターで疑問に思ったことをツイートした。「正直、私もこれを感じる。声がでかいものが勝つ。派手なことしたやつが勝つみたいな風潮。」これはRTしたツイートが黒人差別には立ち上がるのにコロナ下で起こったアジア人差別は見過ごされる、アジア人はないがしろにされているというような旨のツイートだった(現在は削除されている) 私はこれに同意した。少なくともこの時点ではこの旨のツイートに疑問を抱かなかった。

コロナでアジア人への偏見が強くなっているニュースやSNSの投稿を見ていたからか、酷く臆病な気持ちになっていた。

何故黒人に対する差別はここまで大きな動きになるのかこの時点でわかっていなかった。

また、デモというよりも暴動のような過激な動画を目にするようになると、こんな状況なのにアメリカは一体何やってるんだ?とも思った。デモに対しても今やることなのか?と疑問を持っていた。今までの自粛はなんだったのか?とひたすらにその結果を恐れていた。

同時に、このblack lives matterに対して各著名人がSNSで意思表明をする中、KPOPアイドル達が反応を示さないことに関してファンが抗議している、議論が巻き起こっているというようなツイートを目にした。実際に個人のSNSに抗議コメントを送るファンを見て怖さと同時に怒りも感じた。

その一方的にも見える動きに苛ついていた。あくまでも自分はアジア人という立場からしか物事を見ていなかった。

「黒人差別」と「アジア人への偏見」を同列に見ていた。

そんな時にツイッターであるツイートを目にした。

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全部読んで軽いショックを受けたような感覚があった。知らなかった。同列に並べて憤っていた自分が恥ずかしくなった。そして心当たりがあった。名誉白人のような気持ちでいたのかもしれない。

知ろうともしない無知で不勉強な思考を堂々とツイートしてしまった。何度振り返ってみても情けなくなる。たったの数日で思考なんて変わるわけがない。潜在的に自分の中にそういった意識があるのだと思う。調べれば調べるほど自分の浅はかな考えと意識に嫌気がさしてくる。

正直なところ、私は黒人差別というものが全く分かっていなかった。ドラマや映画で知った気になっているだけの事実、という認識。

あることは知っているが、それを身近に感じることがない。韓国人や中国人に対する差別は嫌というくらいに知っているし、感じる。しかし黒人差別は画面の向こうにあるものという遠い存在だった。

アジア人よりも屈強で怖そう、HIPHOPにサッカーに…とそんなイメージ。

彼らの歴史も文化も何も知らない。勝手なイメージで作り上げた印象だけで見ている。

そんな知識の人間が今回のblack lives matterを知った時に生まれる思考は偏見そのものだった。

実感がわかないを言い訳に、全くの無知が暴走していた。

とにかく今のこのblack lives matterが起きた背景を知ろうと思った。

 

今回のblack lives matterについて1番まとまっていた記事。

 

 

優位に立つ側はこの構造に気付かず、社会から取りこぼされて貧困、低学歴、犯罪といった負のサイクルから抜け出せない黒人を「怠惰」「無能」「犯罪者」と見下す。または音楽、スポーツ、体格などに限っては黒人を褒めそやす。子供の頃からこうした扱いを何度も体験すると自尊心が傷付けられ、能力があっても発揮できなくなる。

 

私自身この思考に自覚がある

 

タイミングとしては、新型コロナ危機と重なったのも大きい。単純に、感染症への不安や巣ごもり生活の疲れの影響もある。4000万人もの新規失業者がいて、デモに参加する時間的余裕のある人が増えたこともある。
だが、それだけではない。昔から黒人の失業率は白人の倍ぐらいで、貧困率も倍以上。白人家庭に比べて、黒人家庭の平均資産額は10分の1ほどだ。サービス業や肉体労働など、テレワークが不可能な仕事に従事する黒人の割合は高く、外出制限が発令されたときに解雇されても「つなぎ」の貯金がない人が非常に多い。
さらに、黒人は交通関連やゴミ収集など感染拡大・外出制限中にも休むことができない「必要不可欠な部門」に従事している割合が白人より高い。特に、医療や介護に従事している割合は50%も高い。その分、感染する確率も高い。しかし、白人に比べて保険加入率が低く、受けられる医療の質が劣る傾向にある。故に、感染した場合の結果もひどくなる。黒人のコロナによる死亡率は白人の2.4倍だ。

 

私は何故今のコロナ下でデモをするんだという疑問を持ったのだけど、上記を読むとむしろ今起こったのは妥当なのかもしれないと思った。今のこの状況がデモと無関係ではなかった。

 

私たち日本人も、アジア人であることから差別を受けることはたくさんある。しかし、道を歩いているだけで、またはフードをかぶっているだけで「犯罪者だ」とは誰にも思われないし、射殺されることもない。黒人は常にその恐怖と向き合い、自分たちの子どもにもそんな悲しい事実を教えなくてはならないのだ。

 

イコールで語ってはいけない理由は歴史を知る必要がある。知らない自分はイコールで繋げた。

 

人種差別主義者とは過激なヘイトスピーチや暴力を振るう人たちだけではなく、一定の国籍や人種の人をステレオタイプで見たり、差別を見かけた時に目をそむけて知らないふりをする人たちのことも含まれます。

 

日本に差別はありません、そんなことだけは絶対に言いたくない。その気持ちはあるはずなのに気付いてないだけで自分が多くの偏見を持つ人間だったと気づいた。差別があるのは知っているけど見て見ぬ振りをしてきた自覚がある。

 

歴史を学ぼうと思っても何から手をつければいいかわからない…そう思ったので映画や本も見てみようと思った。

 

まずは黒人の歴史を知ろうと思って電子書籍でこちらを購入した。

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)

 

読んでみてまず感じたのが、自分の歴史知識と認識の低さ。学校で習った様々な知識は消え去っていた。興味がなかったのだろう。この年まで歴史を知るという行為をしてこなかった。海外旅行にも行くし海外コンテンツにも触れてきたが歴史やそれぞれの背景を知るということを抜きにただコンテンツを楽しんでいた。コンテンツを楽しむだけの行為が悪だとは思わないが、その結果が今の自分だということに気がついた。この本を読んで感じたのは黒人の歴史だけではなく歴史そのものと向き合ってこなかった過去の自分への後悔だった。その後悔は最初の発言に戻る。潜在的な偏見や無知の解釈全てが「知らない」から生まれたことだった。黒人奴隷の歴史を私は知らなかった。知ろうともしなかった。

 

16世紀から始まった黒人奴隷制度は今の現代からでは考えられないような、「人」ではなく「物」としての扱いだった。

黒人奴隷とは、いっさいの権利を剥奪され、獣の水準に引き下げられて、法律上はたんなる動産にすぎず、人類の同胞関係の圏外におかれ、人間族から切り離された人間存在である。かれら黒人奴隷には、これが自分のものだと言えるものは、なにひとつない。かれらは、他人の果実を取り入れるために骨折って働き、自分以外の人間が遊んで暮らせるように汗水を流すのだ。」

逃亡して自由の身となり、やがて奴隷制廃止運動の最もすぐれた指導者の一人になったフレデリック・ダグラスは、かつての自分の奴隷生活を振り返って、こう述懐している。

奴隷は「奴隷貿易」で「輸入」されていた。

まず黒人差別の歴史はそこから始まっていた。1863年リンカーン大統領の奴隷解放宣言までの長い間、黒人は奴隷としての扱いを受けていた。しかしその後もKKK(クー・クラックス・クラン)という暴力的な黒人差別団体の登場があり、これらを支持する一般市民も多く、黒人達は常に差別と命の危険の中を生きていた。

そんな中でも自らの危険を顧みず差別に対抗する人々が現れた。特に有名なのが公民権運動の指揮者「キング牧師」ことマーティン・ルーサー・キングだ。

有名な演説「私には夢がある(I Have a Dream)」
1963年8月28日、職と自由を求めるワシントン大行進において、キング牧師リンカーン記念館で人種平等と差別の終焉を呼びかけた演説。公民権運動に大きな影響を与えた。米国における最高の演説であるともいわれる。

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公民権運動の中にいた多くの黒人が負傷したり殺害された。バスに乗るだけで白人と黒人シートに分けられる、学校に登校するだけで命がけだった。

今にもはちきれそうな緊張の中を登校してきた九人の黒人生徒が、正門をさけて脇から校舎に入ったことを知ったとき、群衆は暴徒と化して構内になだれ込み、学校全体に人種暴動が荒れ狂った。暴徒たちは口々に「黒ん坊を学校から追放してジャングルへ追い返せ」などと叫びながら、黒人生徒につき添ってきた親や関係者に危害を加えたばかりか、三人いた黒人報道記者の一人の頭を煉瓦で強打して路上に押し倒した。

 

公民権運動を行なった黒人達は非暴力的抵抗を貫き通した。しかし彼らに対する差別団体や市民達は一方的な暴力でねじ伏せようとした。警察も彼らを助けようとしなかった。

この構図なんだかどこかで聞いたことあるような話…。現代にもよくある権力者とそれを支持する団体や市民のやり方だ。今は直接的な暴力ではなく権利の剥奪やインターネットによる煽動や洗脳、個人攻撃へと形を変えているが、それもれっきとした暴力だ。

現代のアメリカでは教育や経済格差が白人と黒人ではっきりとした数字に現れている。

黒人差別は奴隷の歴史から始まり、奴隷制度が廃止してからも形を変えて残っている。

少しづつ読んだ記事や見ていた動画の点と点が線で繋がった気がした。私が上辺だけで判断していたことは長い歴史の上に存在するものだった。海外を旅行しても映画を見ても「楽」だけに目を向けていた。興味があったのは楽しいことばかりで歴史や人、土地や生活には興味がなかったのかもしれない。歴史や土地を知らなくても楽しめるけれど、今こうやって後悔しながら湧き上がってくる感情が何かわからない。いつかアウシュビッツにも行きたいと思っていた。歴史も知らないで行くつもりだったのか、簡単に言うな。軽率に発言した自分の言葉と思考が今自分にのしかかっている。

恥ずかしながら、自分から歴史に関する本を購入したのはこれが初めてだった。アメリカだけではなく、他の国も、自国の歴史も何も理解していないことに気がついた。学生時代に学んだ様々な歴史は知識として蓄えられず、テストに出るから覚えた「言葉」として自分の中に存在していた。ほとんど忘れて生きてきた。

 

今も現在進行形で様々な差別のニュースが流れてくる。歴史を知らない人、知っていても認めたくない人、知った上であえて差別をする人。どの国にもどの時代にも存在する。

少し前の自分なら同意していたかもしれない。でももう知らないを言い訳にしたくない。

black lives matterをきっかけに人種差別について考えるようになった。何より、私は自国の加害の歴史を知らない。それはKPOPファンになり、より意識するようになった。アジアでは侵略者として存在していた日本という国。他国の歴史と同じくらい自国に関しても知らないことが多すぎる。

KPOPを単純に好きだかわいいかっこいいと享受していいのかわからなくなる時がある。

知ることでさらにその思いが強くなるかもしれない。しかし知らないままでいたくもない。

 

https://iamyu.hateblo.jp/entry/2020/06/06/%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6Kpop%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8

↑リンクが上手く貼れないのだけど、とても共感したし考えさせられたので貼らせていただきます。

 

 

最後に。

black lives matterが自分自身の価値観や思考と向き合うきっかけになった。今回のblack lives matterを一過性のブームとして捉えたくない。ハッシュタグで参加したような気になり、また次のハッシュタグ運動に乗り換え忘れていく…SNSだけだとそんな繰り返しだ。自分から学びにいかないと誰も教えてくれない。当たり前だ。人種差別だけでなく男女差別や様々な問題が日々浮上しては忘れられていく。しかし消えたわけでもなく、ずっとそこにあるのだ。知らないだけで沢山の不条理がまかり通っている。知らない、興味がないをやめる。知ることから始めてみる。

 

寄付先一覧を載せたサイトがあったので貼っておきます。

RA: ニュース: Black Lives Matterをサポート: 寄付先団体、署名運動、リソース一覧