これこれしかじか

ようこそ沼へ。お手柔らかに。きまぐれに。

ちょっとした走り書き

しばらくぶりにブログを書きます。

握手会やライブのレポもまだなのに…(7月だからもう記憶にないかもしれない=書けないかもしれないというか、あなたもう書く気がないでしょ)

なんとなくレポを書くような気分にもなれずのらりくらりしていたらいつのまにか9月になっていた。

今回なんとなく書きたくなったのは最近よく感じるのだけど、人は経験したことがない、興味のないことやものへの想像力が及ばないという話。

これは全てにおいて言えることで、性別、人種、国、田舎と都会、貧富の差、趣味や考え方まで全部に言える。

人は自分が属さないことには興味がないし、わからないし、想像が及ばないんだなと思う。

そのことをリアルに感じてしまって虚しくなる時がよくある。

ネットで見ることもあるし実際に生きていて感じることがたくさんある。

どの属性にも属さない人はいない。絶対にどこかには属すし、今はそこにいなくても、いつか属すこともあるし過去に属していたかもしれない。小さなものから大きなものまで。一生のうちで変わっていくものもあるし、絶対に変わらないものや変えられないものもある。

それは性別であったり生まれた国や人種であったり、細かく言及すると絶対に変えられないものではないけれど人の一生において最も変わらないもの。

わからないものや自分と違う属性に対する想像力の欠如ってどうして起こるんだろうか。

わからなくてもいいし、理解できなくてもいいけれど排除したり攻撃したりする必要はない。いろんな存在がある、という事実だけ分かってくれればいい。難しいことじゃない。

この想像力の欠如が招く、無邪気な攻撃が最近多いような気がする。

ナチュラルに攻撃してくる。ほっといてくれ、そっとしておいてくれ、ということに対しても無邪気に入り込んでくる。

無邪気じゃないこともある。

いつか自分がその立場になった時、あなたは昔あなたが無邪気に攻撃した人達のことを少しは思い出して後悔するだろうか。

いつでも誰にでもその立場になる可能性はあるのに。

経験しないとわからないし、その身にならないとわからないんだな人間はと思う

すごく実感するのだけど、いつも実感してはすぐ忘れてしまう、あの時感じた感覚を少しでも思い出す

あの時言われて嫌だったこと

怖い思いをしたこと

自分には関係ないと思っていたことが自分に降りかかってきた時

好きなものに対して悪く言われた

自分では変えられないことに対しての指摘

勝手に押し付けられるイメージ

 

みんなそれぞれ事情があるんだということ

少しだけ想像力を働かせることができたなら違う未来があるかもしれない